高校1年のある日。
ぼくがその人を見かけたのは学校の帰りだった。
高速道路の高架下の巨大な交差点、そこに架かっている歩道橋を渡っていたときだ。
歩きながらなんとなく視線を下に向けたとき、信号待ちをしている年配の男性がいたのだが、
その背後に白い人影が密着している。
夕闇が濃くなりはじめた時刻だったので最初は見間違いかと思ったが、男性の背中におんぶされるような形の白い人影が見える。
(なんだ、あれは?)
ぼくは足を止めて見入った。
その人影は白い、というより半透明だった。髪が長くて着物を着ているようにも見える。
髪が長いので女かな、と見当をつけたが距離があるし、なにしろ半透明なのだ、はっきりとはわからない。
もっとよく見ようと手すりから体を乗り出したとき、男性が胸を押さえてよろめいた。
ちょうどそのとき、交差点に入ってきたトラックが左折しようとする。
男性はそのままふらふらと前のめりで車道へとはみ出した。
(あぶない!)
ぼくが心の中で叫ぶのと、周囲にいた人たちの悲鳴が上がるのが同時だった。
そして翌日のニュースで男性が亡くなったことを知ったのだ。
(嫌なもの見ちゃったな……)
二、三日食欲がなく、通学路を変えたほど抑うつ状態になった。
あの歩道橋は長いうえに高さもある。階段も段数が多くて角度もけっこう急なので、使う人も少ない。
大体、ぼくもいつもは横断歩道を渡っていたのに、なぜあの日に限って歩道橋を使ってしまったのか。
間が悪いと言ってしまえばそれまでだが、巡り合わせというやつなのだろう。
しばらく鬱々と考え込んでしまったが、日が経つごとにそんな気分も薄れてくる。
そうなると、もうひとつの思考が頭の中を支配しはじめる。
(あの白い人影はなんだったんだろうか?)
もしかしたらあれがいわゆる死神的なもので、あの男性を事故に遭わせたのでは……?
そんな馬鹿なと思いつつも、いったんそんな考えに囚われると振り解くのは困難だった。
ぼくは一カ月ぶりに歩道橋の上にいた。
眼下の交差点をぐるりと見渡す。
歩行者側の信号が変わるたび、『あの人』の姿がないか、ぼくは目を凝らした。
だが、なにごともなく人が歩き、車が流れていく。
気づくと三十分近くも歩道橋の上に立ち尽くしていた。
歩道橋を使う人が少ないとはいえ、通りがかった人にも変に思われるだろう。
明るかった空も陽の薄明かりが残るのみとなり、夜の気配が濃厚になっている。
(時間の無駄だったな、帰るか)
ため息をついてその場を離れようとした時。
遠くから爆音のようなものが近づいてきた。
大型のバイクだった。マフラーを改造しているらしい。
車の隙間を縫うように走行している。
(危ないなあ……)
そう思いながらなんとなく見ていると……。
「あれ?」
バイクの後部座席にもう一人乗っている。
あの半透明の『白い人』だった。
運転者の首にしがみつくようにして顔を寄せている。なにか耳元で囁いているようにも見えた。
周囲の車がスピードを落とし始める。車道側の信号が赤に変わるのだ。
だがバイクは停ろうとせず、車の間をすり抜け突っ切ろうとする。
歩道橋の下を潜り、走り抜けていく。
ぼくは反対側の手すりに取り付き、バイクの行方を見届けようとした。
「あッ!」
見切り発車したらしい乗用車がバイクの横腹に激突する。
衝撃音がし、バイクの運転者が人形のように吹っ飛ばされ、道路の真ん中に転がった。
手足がありえない方向へ向いている。
(見た……見たぞ……あの『白い人』のせいだ)
それから、ぼくは毎日のように通学時は行きも帰りもその歩道橋を使うようになった。
しかし、いつも『その人』がいて、事故が起きるわけではない。
何カ月もなにごともなければ、週に二度、事故を目撃することもあった。
母親がスマホに夢中になっている隙に、何かに駆り立てられるように車道に飛び出す子供。
赤信号で停車している車の群れに突っ込むトラック。
車道脇を自転車で走っていて、通り過ぎる車に引っ掛けられて転んだところを後続車に轢かれる学生。
いつしか『魔の交差点』と呼ばれ、ネットでは面白おかしく心霊スポットとして語られ、事故発生数ランキング一位の場所として恐れられるようになった。
ぼくだけが『白い人』の存在に気づいている、なんとかしなければ、と思うこともあった。
しかし死神の仕業、なんて言ったところで誰が信じてくれるものだろうか。
一方で、『白い人』を見た時の高揚感や、逆に見られなかった時に物足りなさを覚えることになんの疑問も持たなくなっていた。
ぼくが『白い人』を見るようになって一年が過ぎた日。
その日は帰宅が少し遅くなり、歩道橋へきたものの、あたりはもう暗くなっていた。
季節もかなり寒い時期で、ものの五分もすれば滲みるように手足が冷たくなっている。
歩道橋の上は風が強いのだ。
(もう今日はいいや、帰ろう)
そう思って上部通路を渡り切り、急勾配の階段を降りた。
下から上がってきたサラリーマン風の男性とすれ違う。
酒のにおいが鼻をつき、顔をしかめた。
(まだそれほど遅い時間じゃないのに酔っ払ってるのか……)
そのとき。
視界の隅に、半透明の白いものが見えた。
ぼくは反射的に振り返り、すれ違った男性を見た。
だが、男性の背中には異常はない。
(気のせいか……?)
背を向けて降りようとした。
また視界の隅に白いものが見えた。
はっと自分の体を見おろす。
後ろから半透明の腕が首に巻き付いていた。
顔の真横に半透明の長い髪のようなものが揺れている。
(あ、あの人がぼくの背中に……!)
思った時、耳元でか細い声が聞こえた。
『さあ、いこうか』
瞬間、背後から衝撃を受けた。
さっきの酔っ払いが足を踏み外してぶつかってきたのだと、なぜか理解していた。
ぼくは受け身も取れないまま、長い階段を転げ落ちた。
ゴキュ。
鈍い音を体中で感じ、視界が暗くなった。