降車ボタンを押すモノ

オリジナルストーリー

俺(水瀬優弥)が、高校一年生のときの出来事。
その最終バスに乗ったのは、交通事故に遭って入院している母方の叔父の見舞いに、秋の連休を利用して行った帰りだった。
本当は妹の優香も行くはずだったのだが、急に所属している軽音楽部から集合がかかり、俺一人で出向いたのだ。
両足を複雑骨折した叔父は「まいったよ」と笑っていた。元気そうで安心した。
その病院は完全看護なので、付き添っていた叔母と一緒に病室を出た。
久しぶりだからちょっと寄っていきなさいよ、と叔母に誘われるまま家へお邪魔したのだ。
同い年の従兄弟とも久しぶりに顔を合わせ、夕食までご馳走になってずいぶん長居をしてしまった。
なんなら泊まっていけば、と言われたが、翌日は剣道部の練習があったので、その申し出を辞退して、おいとました。

まだ二十二時台で、それほど遅い時間ではなかったが、
叔父の家は郊外の辺鄙な場所にあり、バスの路線も最終時間が早い。
乗客は俺を含めて四人。
サラリーマン風の男二人と、制服姿の女子高生が一人。
俺は前の席に座り、他の三人は後ろのほうの席に散らばっていた。
車内は静かで、低いエンジン音と振動が眠気を誘う。
俺は窓際に寄りかかって目を閉じた。
どれくらい時間が経っただろう。

ピンポーン

降車ボタンの電子音が鳴った。
俺は目を開け、停留所の表示を確認した。
まだ俺の降りる停留所までは三つ先だ。
ふたたび目を閉じるとしばらくしてバスは走り出した。
ふと違和感を抱いた。
誰かが降りた気配がなかったのだ。
まあ寝ぼけていたのだろうと納得し、またウトウトと微睡んだ。

ピンポーン。

再びチャイムが鳴る。
しかし停車しても、扉は開くが誰も降りない。
俺は少し身を起こした。
振り返ってみたが、サラリーマン二人はスマホをいじり、女子高生はイヤホンをして眠っているようだ。
誰もボタンを押した気配はない。
(どういうことだ……?)
誰かがイタズラでもしているのか、子どもじゃあるまいし。
訝しんでいると、そのうち三度目のチャイムが鳴る。

ピンポーン。

思わず振り返って息を呑む。
バスの座席は俺以外、すべて空席だった。
さっきまでいたはずのサラリーマンふたりと女子高生も姿がない。
いまこのバスに乗っているのは俺と、運転席の向こうにいる運転手だけだ。
(まさか……最初から?)
背筋がざわつく。
目を凝らすと車内にぼんやりとした影が複数浮かんでいる。
姿ははっきりしないが、制服姿やスーツ姿の輪郭が、座席に重なるように揺れている。
最初は普通の乗客に見えていたが、どうやらそうではなかったらしい。

ピンポーン。
ピンポーン。
ピンポーン。

ぼんやりした人の輪郭が繰り返し、ボタンを押している。
俺は視線を窓の外に戻した。
これ以上意識を向けると、絡まれる可能性がある。
俺は幼いころからこの世ならざるものの姿や存在を視たり感じたりする体質だ。
そして『視えている』ことが相手に悟られると、まず碌なことが起きない。
最善の対処法は『無視する』のみだ。

ピンポーン。

また鳴った。
今度は俺の隣の席から。
冷たい空気が肩に触れるような感覚がした。
俺は深呼吸して、目を閉じた。
心の中で繰り返す。
(視ない、視えない、視えてない……)
やがて、バスが俺の降りる終点の停留所に近づいた。
アナウンスが流れる。
降車ボタンを押した──生者の俺が。
扉が開く。
降り際に運転手に声をかけようとした。
俺がイタズラでボタンを押していないんだってことを伝えるために。
だが、初老の運転手はあきらめたような表情で小さく頷くと、
早く降りるようにと目で合図をした。
俺はちょっと頭を下げて急いで降りた。
振り返らずに歩き出す。
背後で、ピンポーンという音が遠くに響いた気がしたが、無視した。

翌日。
剣道部の練習後に、俺は理沙先輩に昨日の出来事を話した。
「へええ、そんなことがあったの。
そういえばその路線で、ずいぶん昔……昭和の半ばあたりに大きなバス事故があったって聞いたよ。
かなりひどい事故で、横転したバスから火が出て、逃げ出せなかった人が犠牲になったって。
亡くなった人たちの霊が、ボタン押して『ここで降りたい』ってアピールしてるんだろうと思う」
俺の話を最後まで聞いた理沙先輩は、ただの噂だと思っていた、と言う。
そんなことがあったのか……知らなかった。
ぼんやりした人影。重なり合う輪郭。誰もいないバスの車内で連打される降車ボタン。
あらためてゾクッとする。
「それじゃ、あれ、ずっと続いてるんですかね」
「たぶんね、だからその運転手さんも冷静だったんでしょ……やれやれまたか、ってね。
すごい度胸だね、なんか尊敬しちゃう」
理沙先輩のそんな言葉に俺は苦笑した。
彼はすべてわかっていたのか、あのあきらめの表情は。

「でもさあ、水瀬くんは乗車した時から視えてたんでしょ、なんですぐに霊だって気づかなかったの?」
「そう、なんですよね……初めは生きている人たちに見えたんですよ、なのに……」
それも不思議だ。
俺の霊感がそこまで鋭くないと言われればそれまでだが、なぜ途中まで気づかなかったのか。
妹の優香も同じ体質で、俺より霊感が鋭い。もし優香も一緒に行っていればどうなっていたんだろうか……。
考え込んでいる俺の顔を首を傾げて見つめていた理沙先輩は、
「まあ、理解できないものは、放っておけばいいんだよ
それより、視えちゃったなら反応しないのが一番。よく無視できたね、偉い」
ポンッと俺の肩を叩いた。
「そ、そうですね、とは言っても気にはなりますけど……」
「ふふ、じゃあなんですぐに気づけなかったのか確かめるために、もういちどそのバスに乗ってみる? なんなら私も一緒に乗ってあげようか?」
理沙先輩が悪戯っぽく笑う。
無邪気な笑顔に、俺は少し頰が熱くなる。
「いや、やっぱりやめときます。でも、機会があったらお願いします」
……まあ、次に乗る機会なんて、ないと思うけど。
だけど、少々怖い場所でも、理沙先輩と一緒なら行きたいかな、と思った。

それ以来、俺はバスに乗ったとき、念のため早めにボタンを自分で押すようになった。
誰かが押したくなる前に、先に俺が押してしまえばいいと思ったからだ。

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