落ちてくる男

オリジナルストーリー

俺(水瀬優弥)が高校一年生の時の話。
そろそろ高校生活にも慣れてきた、初夏に入った日の通学途中。
なんとなく気になって見上げると、ビルの屋上に人影が立っていた。
思わず立ち止まり、後ろから歩いてきたサラリーマンがぶつかりそうになって、
舌打ちをしながら通り過ぎていく。
屋上のフェンスの外側、パラペットの縁ギリギリに立っている。
人影はどうやら男らしいとわかった。
(あぶない!)
次の瞬間、男は宙に身を踊らせた。
あッ、と声を上げそうになってすんでのところで飲み込む。
(あれは人じゃない……)
その証拠にこれだけの人たちがいながら、誰も気づいていない。
落下してくる男の姿は街路樹に阻まれて見えなくなった。
すでに地面に叩きつけられているはずだが、騒ぎは起こらず、周囲の人々は学校へ職場へと急ぎ足だ。
(つい見ちまった……気づかれてなきゃいいけど)
迂闊にも意識を向けてしまったことを悔やみながら学校へと急いだ。

授業中。
高校の近くに送電用鉄塔があるのだが、そのてっぺんに人が立っている。
今朝、ビルから飛び降りたあの男だとわかった。
かなり距離が離れているので、男の服装や表情などは確認できなかったが、
こちらを見ているのが、なぜかわかった。
(まさか?)
ふらりとその身体が揺れて飛び降りようとした直前、
俺は板書する先生の背中に視線を戻した。
(くそ、視えていることに気づかれたのか? 面倒だな……)
胸の内でため息をついた。

放課後。
所属している剣道部の練習に出るために、部室棟へと向かっていた。
部室も道場も体育館の裏側にある。
体育館の側に差し掛かったとき、前を歩く長い髪を結い上げた女生徒の背中が見えた。
「越嶌先輩、こんにちは」
「ああ、水瀬くん」
振り返ったその人は俺を見とめると、口角を上げて笑った。
越嶌理沙さん。
俺より一年上の先輩で、同じ剣道部に所属している。
猫のような大きな瞳とすっと通った鼻筋が魅力的だ。
ほっそりした華奢な身体からは考えられないくらいの鋭い打ち込みと速さに、俺は未だに対処できない。
「調子はどう?」
「はい、悪くはありませんけど……」
何気ない会話を交わしつつ部室へ向かいかけたとき。
理沙先輩が立ち止まり、俺の腕をぐいっと掴んだ。
「水瀬くん、私のほうを見て!」
「え?」
切迫した先輩の声に俺は驚いて訊き返した。
理沙先輩の表情は真剣そのものだ。
「いいから、見て! 絶対に目を逸らしちゃ駄目!」
「は、はい?」
目鼻立ちの整った先輩に見つめられ、俺はドギマギしながら見つめ返した。
次の瞬間、上空からの気配に肌にざわりと粟がたつ。

バシーン!

俺たちの背後になにかが落ちてきて、土のう袋を叩きつけたような音をたてた。
『あの男』が体育館の屋根から落ちてきたのだと瞬時にわかった。
思わず振り返りそうになって、
「見ちゃ駄目!」
理沙先輩の厳しい声が飛んできて、なんとか耐えた。
ざわざわと背後から禍々しい気配が身体を包み込んでくる。
冷や汗がどっと流れ出て、足が震えそうになる。
「絶対に見ないで……落ち着いて、ゆっくり離れよう」
「はい……」
俺と先輩は前方に目を向けたまま、その場を離れた。
周囲にも生徒たちがいたが、誰ひとりとして気づいていないようだった。
十歩ほど歩いたとき、
『クソ、ナンダヨ、ミエテナイノカヨ』
悪意の塊のような声が聞こえてきて――ふっと嫌な気配が消えた。
「行ったみたいだね……でもまだ油断しないで、知らん顔して歩くんだよ」
「わかりました……」
心臓がバクバク鳴っている、顔色も真っ青なのだろう。
先輩はそんな俺の様子を見て、
「ちょっと時間あるから、なにか飲んでいこうか」
と、笑った。

学食にある自販機でジュースを買って飲み、なんとか気持ちを落ち着けた。
「大丈夫そ?」
「はい、もう平気です」
「ちょっとやばかったねー……私も声を上げそうになったよ」
「そうだったんですか? 先輩はすごく冷静でしたよ……さすがですね」
「午前中、あそこの鉄塔にいたやつだよね、あれ」
「あ、やっぱ気づいてましたか?」
「うん……でもあんなタチの悪いのが急に出てくるなんて変だね、なんかあったのかな」
理沙先輩は眉根を寄せて考え込んだ。
「たぶん俺が目をつけられたんだと思います」
俺は今朝、あの霊を目撃して意識を向けてしまったことを話した。
きっとあいつは人が大勢いるところで、ああやって『視える人間』を探していたのだろう。
それに俺が一瞬反応してしまったので、それを確かめようとしていたに違いない。
先輩は、
「そっかあ」
と、軽くため息をついた。
「もうちょっとうまくスルーできるようにならないとね」
「すいません、努力はしてるんですけど……なかなか先輩のようには」

俺は幼いころからこの世ならざるものの存在を感じ取る『霊感体質』だ。
妹も同じ体質だったが、兄妹以外でその感覚を分かち合う人はいなかった。
だが、高校生になって同じ剣道部の理沙先輩に出会った。
先輩の霊感はかなり強くて、俺には感じられないほどの微弱な存在も感じ取る。
そんな先輩の能力に共鳴するように、最近は俺の霊感も強くなってきている。
そのせいで今日のように『ヒトではないモノ』に遭遇することも多くなった。
怖い目に遭うのは先輩と知り合ったせいだとも言えるのだが……。


「じゃ、そろそろ行こうか、今日も気合い入れてこうね」
そんな俺の気持ちを知っているのか知らないのか、理沙先輩はにこっと笑った。
「はい、頑張ります」
だけど、理沙先輩とこうやって『仲間意識』を持てるのは悪くない、と思っている。

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