友達の家へ遊びに行った帰りだった。
『それじゃ優香、気をつけて帰りなね』
「ありがと、また明日ね」
別れてからもまだ話し足りなくて、携帯で友達とお喋りしていて、やっと切ったところだ。
空は太陽の名残が微かに残っているだけで、周囲は夕闇に包まれている。
ふと気づくと児童公園の入り口に差し掛かっていた。
友達の家から自宅までの道中にあって、普段は立ち寄らない公園だけど、たまにこうやって通りかかる。
(あ、そうだ、ここ……)
数週間前、ここでおかしなモノを視たと兄から聞いていた。
『かなりタチの悪そうなヤツだから気をつけろ、絶対に近づかないほうがいい』
私と兄は幼いころからこの世ならざる存在を視たり感じたりする体質だった。
その力は私の方が強かったんだけど、最近は兄の能力が強くなってきていた。
通っている高校の先輩がとんでもなく強力な霊感体質で、呼応するように兄の力も強くなってきているという。
その兄が言っていた、「アレはヤバい」と。
(うっかりしてたな、他の道を……)
踵を返そうとしたとき、突然目の前にそれはあらわれた。
ビクッと身体を震わせた。
ピリピリと肌を刺すような感覚。
キーンと不快な音が耳の奥に突き刺さる。
相手の顔を見ないように反射的に目を伏せた。
黄色いレインコートを着た女だった。
『視えてる?』
鼓膜にひっかかってくるような不快な声。
思わず身震いした。吐き気がする、邪悪の塊。
『視えてるよねえ?』
畳み掛けるように話しかけてくる。
ここに立ち寄ったことを後悔した。
せっかくお兄ちゃんが忠告してくれていたのに……。
友達とお喋りしていてうっかり忘れていた……歩きスマホなんてするもんじゃない。
足早に歩き始めたが、当然相手は追ってくる。
隣に並び歩き、親しい友人のように耳元に口を寄せてきて、
『視えてるんでしょ、視えてるよね、さっき反応したもん』
と、嬉しそうに話し続ける。
どうしよう、どこまでもついてくる気だ。
こんなモノ、家に連れ帰るわけにはいかない。
『ねえ、こっち視てよ、顔見ながら話そ、仲良くしよう』
文字通り息がかかるほどの距離で続ける。
すぐそばに相手の顔があるはずだけど、そんなふうには感じられなかった。
フードの中にはぽっかりと開いた、底なしの闇が広がっている、多分。
ある種のブラックホールみたいな……よくわかんないけど表現するならそんな感じ。
そこに吸い込まれてしまうのか、顔を奪われるのか、それはわからないけど、顔を見たら終わる――見たら最期だ。
どうすればいいんだろ、どうすれば……。
答えが出ないまま、公園の外周をぐるぐる周っていた。
『ねえ、ねえ、話したくないなら話さなくてもいいから、見よう? 私の顔をいちど見るだけ、それだけでいいから』
耳障りな声がずっと続いている。
なにがそれだけ、よ。いちど視たら終わるんでしょ。
いつのまにか恐怖は消え、別の感情が沸き起こっていた。
(ムカつくわ、コイツ)
公園の入り口に戻ってきていた。
うまくいくかわからないけど、試す価値はある。
どうせこのままじゃ家に帰れないんだし。
公園に入り、あるものを目指してまっすぐ歩いた。
『どこいくのー、ねえ?』
嘲るような声に、
「顔を見て欲しいんでしょ、お望み通りにしてあげるよ」
私は初めて答えた。
『え? ほんとにー! 嬉しい! じゃあ早く視て、早く!』
嬉しそうな声を聞きながら、私は目的の場所に足を踏み入れた。
女子トイレの手洗い場――正面には鏡がある。
そこには私と、私の耳元に顔をくっつけんばかりにしているレインコートの女が映っていた。
女は私の顔を凝視しているので、鏡にはフードに包まれているであろう横顔しか見えない。
『うふふ、トイレでお話しするの? いかにも女子中学生って感じだね、楽しいよ』
はしゃぐような声を無視して、私は鏡の中の女を指さした。
「あ、アレ見て!」
私は大声をあげた。
『エ?』
レインコートのフードが動いて、鏡を見ようとする。
私は顔を背けて目を閉じた。
『イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
女の悲鳴がトイレじゅうに響き、そして、静かになった。
嫌な気配も、ムカつく声も一瞬にして消えた。
目を開けると、女の姿はなく、白々とした蛍光灯がトイレ内を照らしているだけだった。
私はトイレをフラフラと出ると、近くのベンチの腰を下ろした。
まだ足が震えてる。心臓が早鐘のごとく鳴っている。
ああ、まじでヤバかった……あいつが鏡に映らないタイプの『魔」だったら詰んでたなあ……。
しかしこううまくいくとは思わなかった……あいつは自分で自分の顔を見て、自滅した。
間抜けなヤツで助かったワ。
私は深呼吸して息を整えてから、ベンチを立ち、公園を出た。
まあとにかく、歩きスマホなんてするもんじゃない。