ふと目が覚めた。
薄暗い天井を見てどきりとする。
ああ、そういえば寝てたんだっけと思い出す。
お昼ご飯を食べた後。
数学の公式集をパラパラと捲っていたのだけど、
眠くてどうしようもなかったので、ちょっとだけ仮眠するつもりでベッドに横になったのだった。
スマホで確認すると18時30分過ぎ。
(わあ、ずいぶん寝ちゃったな)
苦笑しつつ体を起こした。
家の中はしんとしている。
(お母さん、いないのかな?)
机の上に開きっぱなしになっていた参考書に
『ちょっと出かけてきます、晩御飯までには帰るからね』
母が書いたメモが置かれている。
「もー、勝手に部屋に入ってきたんだ……」
ブツブツいいながらも、多分母はノックとか声をかけたんだろうけど、
気づかないほど熟睡していた自分に呆れる。
喉が渇いていたので、一階に降りて、冷蔵庫から麦茶を取り出してグラスに注いでいると、
コンコン、と玄関のドアをノックする音が聞こえた。
(え? インターホンすっ飛ばしていきなりノック?)
普通門扉を開ける前にチャイムを鳴らすはずだ。
玄関の前までいく。
黙って立っていると、
「理沙、ドア開けてくれない?」
と、母の声がする。
「なんで? 開ければいいじゃん、鍵忘れたの?」
答えると、
「買い物して手が塞がっちゃってるのよ、開けてよ」
と言う。
「そうなんだ、門扉はよく開けられたね」
「お尻で押してなんとかね、早くドア開けて」
「そうなんだ、お母さんが出てくとき、私寝てたよね。いま起きてるってよくわかったね」
「いくらなんでももう起きてると思うよ、何時だと思ってるの」
「なるほどね……そんなにいっぱい何買ってきたの?」
「そりゃ夕飯におかずに決まってるじゃない、ねえ、早く開けて、手が痺れちゃった」
「今日の夕飯はデリバリーでしょ、お父さん出張だもん、手を抜こうねって朝から言ってたよね?」
「気が変わったのよ、ねえ理沙……」
「お父さん、どこへ出張だっけ、言ってみて?」
「……………………」
ドアの向こうで沈黙する。
「久しぶりだね、だけどもうこっちも子どもじゃないんだよ、あんたの怪しい気配がダダ漏れなんだけど」
相手はしばらくドアの前に立っていたが、
「生意気になったもんだね、ガキが」
と毒づき、ゆっくりと気配が遠ざかっていった。
その三分後、近所に住む伯母の家へ小用で行っていた母が帰ってきた。
「あ、お帰りなさい」
ダイニングで麦茶を飲んでいた私に母はちょっと青ざめた様子で、
「ただいま……理沙、大丈夫だった?」
「え、なにが?」
「おかしな気配が残っていたものだから」
「うん……大丈夫だよ、もう私だって騙されやしないから」
私が笑うと、母もホッとしたように笑った。
私はこの世ものならざる存在が見えたり聞こえたりする『霊感体質』だ。
私が小学校に上がる前、今日のように母のふりをした何者かが家に入り込もうとした。
ちょうど私が玄関の前を通りかかったとき、ドアの向こうから母の声で『開けて』と言ってきたのだ。
まだ幼かった私は、
(あれ、お母さんはおうちにいたのにいつの間に外に出たのかなあ)
と思いつつ玄関を開けようとしたとき、母親が慌てて居間から飛んできて私を抱きしめ、
「来るな、帰れ!」
と一喝したのをいまもはっきり憶えている。
じつに十年以上ぶりの再訪だ。
私の体質は母から受け継いだものだ。
母が私くらいの年齢のときは、私の比じゃないくらい『向こうの存在』と関わったという。
「でもどうしていまごろ……何年も経っているのに」
母は眉を曇らせた。
「さあねえ……でもああいう存在に時間の観念はないんじゃない? たまたまでしょ」
私は気楽な調子で言ったが、思い当たるふしがないわけではない。
高校の後輩に、『霊感体質』の男の子がいる。
彼と知り合ってから、『怪異』に出遭う機会が増えているように思う。
それは彼にしても同様のようだ。
お互いに『霊感』を高め合っているのかもしれない。
なんとかとなんとかは引かれ合う、とか漫画だかアニメだかの設定にあったけど、
それと似たようなことなのか。
同じ学校に通っていて同じ剣道部に所属してたんだから、
引かれ合ったというわけじゃないんだろうけど。
心の中で、まあしかたないよね、と笑う。
「ね、今日はなに食べる? ベトナム料理とか試してみる?」
私がスマホでフードデリバリーアプリを開きながら言うと、
「えええ、そんなレアな方向いくの?」
母が呆れたように笑う。
高校三年生の夏休み、終盤の日の出来事である。