高校一年の夏休みの出来事だ。
俺(水瀬優弥)は読書が好きだった。
ネット通販は便利だが、実店舗で本を手に取って興味のある内容を選んだり、新たな分野を開拓するほうがワクワクする。
八月に入ってすぐに自宅から徒歩で二十分ほど離れた場所に、大型書店が新しくオープンした。
開店初日に、さっそく足を運んでみる。
見えてきた店舗は五階建てのかなり大きい建物だ。
(これは期待できそうだなあ)
そんな高揚感を覚えながら足を早めた時だ。
ぞくりと悪寒が背筋を走る。
夏風邪をひいたわけではない、俺の体質に起因する警告だ。
見ると、書店近くにある路地裏の入り口に女が立っていた。
白いワンピースを着た、長い黒髪の女性。
顔は青白く、目が異様に大きく見開かれ、口元が引きつったような恐ろしい形相でこちらを睨んでいた。
この世のものではない、とすぐにわかった。
俺は幼いころからそういう存在が視えたり感じたりする体質だ。
(まずいな……)
いまさら引き返すわけにはいかない、こちらが視えていることを気取られてしまう。
とるべき最善の方法──無視一択だ。
長年の経験から、関わったり、反応すると面倒なことになるのはわかっていた。
俺は視線を逸らし、気付かぬふりをして通り過ぎた。
書店に入り、ほっと息をつく。
店内は品揃えも豊富で、静かな閲覧スペースもあり、俺の望んでいた空間だった。
女のことも忘れ、数時間の時を過ごした。
愛読している漫画の最新刊と面白そうな文庫本を買った。
店を出る段になって、あの女のことを思い出す。
(視えていることを気づかれないように用心しないとな)
そう心づもりして店を出たが、その女の姿はなかった。一片の気配もない。
たまたま居合わせた浮遊霊のようなものだったのだろうか? とりあえず良かった。
それから数日後、書店に行くとまた女の霊がいた。
同じ路地裏の入り口。
俺を恨めしげに睨みつけている。
(なんだよ、いなくなったんじゃなかったのか……)
だが、睨むだけでこちらに干渉してこようとしない。
俺が通り過ぎるのをただ待っているような様子だった。
そして帰りには、その姿は消えていた。
その後も書店に行くたび、その女は俺の目の前にあらわれ、帰りには消えている。
危害を加えてこないなら、無視するのが一番だとわかっている。
ネット通販に押され、書店の実店舗が減少するなかで見つけた居心地のいい場所なのに……。
せっかくできた楽しみに水を差されたような形だ。
目的のわからない女の視線がなんとも癪に触る。
夏休みが終わり、学校が始まった。
その日は所属している剣道部が休みで、学校帰りのその足で書店に向かった。
(あれ?)
あの女の姿がない。
路地裏の前を通るときも気配は一切感じられなかった。
もちろん帰りにも女が出現することはなく、すこし不思議に思いながら、俺は書店を後にした。
書店に通っているうち、女が出現するときとしないときがあることに気づいた。
女があらわれるのは自宅から直接書店にいったときに限られているのだ。
もしやと思い、ある日その近くにあるカフェに寄ってから書店に行ってみた。
すると女はあらわれなかった。
学校帰り、近くのコンビニ、ドラッグストア。
どこでもいいから、自宅から直接ではなく、一旦別の方向へ寄ってから書店に向かう。
そうすると女の霊はあらわれることはなかった。
そういえば、前に何かの本で読んだ記憶がある。
方違え。
平安時代から伝わる陰陽道の考えだ。
ある場所に出向く時、方角の吉凶を占う。
その場所が凶方位に当たる場合、前夜に吉方にある友人宅や寺院などで一泊する。
そこから目的地へ向かうことで、方位の災いを避ける風習だ。
もしかしたらそれと関係があるのかもしれない。
俺の家から書店に向かう方角が「凶の方位」だった──女が俺の厄災のようなものだったのか。
それから自宅から書店にいくときはいちど別の場所を経由するようにした。
その後、女とはまったく遭遇しなくなった。
女の霊の正体はわからない。
なぜ俺の前にあらわれて睨んでいたのか、目的は何だったのか。
もしかすると、単にそこに留まるだけの地縛霊で、俺個人に因縁があったわけではないのかもしれない。
実際、方違え──凶の方角なんてものがあるのかさえ定かではない。
……まあいずれにせよ、遭遇しなくなった今となっては、それで十分だ。
俺は書店への道を、少し遠回りするようになった。
本を選ぶ楽しみは相変わらずだ。
あの視線がなくなって、毎日の生活が爽やかになった気がする。
購入した本を片手に、家路を歩く足取りも軽い。
『理解できないものは、放っておけばいいんだよ』
以前そう言っていた理沙先輩の笑顔が思い出され、俺も小さく笑った。
これでいいや。すべて順調、問題なし。



