中学二年の夏休み。
友人の佳奈と映画を観にいった、その帰り。
ちょっとお腹空いたねということで、
ファストフード店に入った。
「怖かったねー」
「うん、そうだね」
観にいったのは、話題になっていた邦画ホラーだった。
「主人公が廃屋に隠れてたとき、呪文が聞こえてきたときは鳥肌が立ったなあー、優香はどこが一番やばいと思った?」
「そうだなあ……私は――」
作品そのものは期待していたほどではなく、まあまあかな、というのが正直な感想だった。
でも、映画というのは面白かろうがそうでなかろうが、
誰かと観たあとにこうやって感想を言い合ったり、共有できるのが楽しいのだ。
ひとしきり素人評論に花を咲かせてひと段落ついた。
佳奈は映画の元になった都市伝説のことをあれこれ深掘りした話を続けていた。
娯楽として楽しむぶんには、私も都市伝説は嫌いではない。
が、霊感体質である私には、本気で信じて怖がれるものではないので、
相手に合わせてテンションを上げるのはちょっとシンドイときがある。
「こういう話をしてると怖いモノが寄ってくるっていうでしょ?」
「ああ、よく言うね」
「あれってホントなのかなあ……」
(いや、そんなことないけどね)
私は苦笑しつつ、
「どうだろうねえ……だとしたらいま、佳奈の横にいたりして」
「やーめーてーよー」
佳奈が大袈裟に体を震わせて笑った。
ちょうどそのとき、店の自動ドアが開いた。
私たちは近くに座っていたので、目を向けた。
「あれ、勝手に開いたね」
佳奈が不思議そうに首を傾げた。
他のお客さんや店員さんも、怪訝そうに誰もいないのに開いたドアを見ていた。
「センサーの不具合かな、よくあるよね」
佳奈は呑気に笑っていたが、私は笑えなかった。
ざわざわと空気が渦を巻き、肌の表面がピリピリする。
男が立っていた。
頭から血を流し、皮膚は青黒く変色していて、季節にそぐわないコートを着ていた。
(やっば……)
私は視線を逸らして、目の前のハンバーガーに集中する。
男はフラフラと虚ろな目で店内を徘徊し始めた。
「あ、もしかしたら怖い話してたから入ってきたのかもねー」
佳奈が無邪気にそんなことを言う。
それに反応したのか、男がゆっくりと私たちの方を向いた。
「そ、そんなことあるわけないじゃん」
そういって笑ったけど表情は引き攣っていたようだ。
「なになに、優香。まじでビビっちゃってるの?」
佳奈がさっきの仕返しとばかりに畳み掛けてくる。
「ち、違うって。それよりさー……」
私はなんとか平静を装って話題を変えようとした。
「でも幽霊ってやっぱり夏だよねー……だけどなんで夏なんだろうね?」
佳奈、もうちょっと話題変えてほしい。
男は私たちのテーブルに肘をつき、ゆっくりと首を振って、じーっと顔を覗き込んでくる。
近くで見ると意外と若い、大学生くらいかも。
「映画とかイベントとかテレビ番組もオカルト系多いし……やっぱり暑いからぞっとして涼しくなろうってことなのかな」
(ちょ……佳奈、そのテの話題から離れようよ)
「あ、はは、そうかもね。それはそうと……」
『ミエテルノカ? オマエラ、ワザトソンナハナシシテルノカ?』
男がブツブツ言い始めた。
「でも怖いときって緊張して汗かいたりして余計に暑くなったりしない?」
『オイ、ミエテルンダロ、マワリクドイコトセズニハッキリイエヨ』
話題の主導権を握っている佳奈の顔に、ぐぐーっと男が顔を近づけていく。
「ねえ、佳奈……!」
「どうしたの、優香、なんか顔色悪いけど」
佳奈が首を傾げる。
男が佳奈から私へとゆっくりと視線を移した。
『オマエハミエテルノカ? ドウナンダ?』
ずいっと体を乗り出すようにして今度は私の方へ顔を近づけてくる。
パァン!
私は男の目の前で手を打ち鳴らした。
「わ、なに?」
佳奈が目を丸くする。
男もビクッと体を震わせ、動きを止める。
「蚊だよ、蚊……あれ、逃げられた」
パン! パァン!
蚊を追うふりをして、男の目の前で手を鳴らす。
「ちょ、やめなよ、優香、恥ずかしいって」
手を叩く音があまりにも大きいので、他のお客さんや店員さんの目が私たちに向く。
『ナンダヨ、コイツ……』
男は面食らった表情で、すうっと私から離れた。
「あー……逃げちゃったわ」
手をひらひらさせて追い払うような仕草をして、店内の人たちにちょっと頭を下げた。
くすくす、と笑い声や、「びっくりしたぁ」という声が店内のあちこちから上がった。
「すいません……もぉ、優香」
佳奈が周囲に頭を下げながら、私を嗜めるように見る。
「あー、ゴメンゴメン……でも蚊に刺されるのヤなんだもん」
手を打つ音は霊を祓う効果がある、とよく聞いていた。
試したことはなかったんだけど意外とイケるのかも。
「だからってそこまでする? もしかして顔色悪かったのって蚊のせい? へんなの」
佳奈が呆れたように笑う。
視界の隅で男が壁ガラスをすり抜けて外へ出ていくのが見えた。
(なによ、通り抜けられんじゃん……わざわざ自動ドア開けて入ってきたクセに)
ちょっと恨めしく思ったが、邪悪なにおいは感じられなかった。
彼は『悪霊』でも『魔』でもなく、ただ単に
通りかかっただけだったのだろう、もしかしたら話し相手でも欲しかったのかもしれない。
バスに乗る佳奈と別れ、電車の駅までゆっくりと歩いた。
繁華街は夏休みとあって人通りが多い。
その中で異質な者たちがポツポツと目に入る。
交差点の真ん中でぼんやりと立っている中年女性。
街路樹の下で人待ち顔で佇んでいる若い男性。
歩道の端でタクシーを停めようと手をあげているサラリーマン。
それらはそこに存在しているのに、周囲の人たちは全く見えていない。
だけど、私はそういうモノが視える、いや、視えてしまう。
意図的にピントをずらせて視ないようにすることはできる。
感覚としてはコンタクトを外すような感じ。
完全にコントロールできるわけではないので、外を歩けば一日に一度は目撃してしまう。
目を凝らせばもっと多くの存在が視えてしまうだろう。
まだまだ暑いけど、日はずいぶん短くなった。
あと一ヶ月もしないうちに、この暑さが懐かしく感じられるのだろう。
この時間、ほんの一週間前はまだまだ明るかったのに、
いまは夕闇が周囲を支配し始めている。
夏ももうすぐ終わる。
佳奈との会話を思い出す。
夏は幽霊の季節、本当にそうだったらどんなにいいだろう。
夏だけ気をつければいいんだから、それこそ蚊みたいに。
私にとって幽霊は、年中無休『オールシーズン』だ。